2008年8月15日金曜日

妹の結婚式




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この話題はシアトルではなく、日本に帰ってのことですが、とりあえず、ここに書くことにしました。
妹がずっと前に仕事で知り合った旧同僚だった人と再会して、結婚することになりました。彼女は初婚、相手は再婚。人生のパートナーとシアトルで会って、息子2人と幸せに暮らしている私は、
妹がずっと独身で寂しく年老いていくことを心配していました。彼女が両親と同居して手伝いがいるときはいつでも頼りになっていたので、いつも結婚しろとは言っていたものの両親は寂しくなりました。
妹はシアトルは遠くても、2人目が生まれたときや、私が病院に入院したりしたときにははるばる来て手伝ってくれました。そのときは独身で定職についてなかったとはいえ、時間を割いて飛行機で10時間もかけてきて家のことをしてくれた彼女にはとても感謝しています。親が両方元気なうちに結婚したほうがいいと妹にはよく言っていましたが、妹が他の人のものになったようで、少し寂しいです。でも、だんな様になった人はいい人のようなのできっと幸せにしてくれるでしょう。
結婚式は東京の築地の鉄砲洲神社で7月12日の暑い日にありました。神式の結婚式に出席したのは初めてでした。私も着物を着せてもらって、暑い中、神聖な神前の三々九度であげる結婚式に正装した家族と共に参列しました。その後衣装換えをして、レセプションの夕食に参加、最後のだんな様のお父さんの指揮での三三七拍子が印象的でした。
その一週間後にうちの実家の広島で半べえ という料亭に親戚と隣人を招いて結婚の披露宴が行われました。私の披露宴は両親が全部決めて、私たちは帰省して、出席しただけでしたが、妹と高橋さんは自分達で、全部決めました。出席者への招待状、席決めや引き出物や料理など東京と広島を行き来しながら親と料亭と打ち合わせしたりと、準備はとても大変そうでした。 このとき、冗談でもし司会がいるならしてもいいと言ったら、披露宴の前日に頼まれて、初めての司会をすることになりました。初めてなので、スケジュールと進行役のせりふを新郎がその日の朝までに用意してくれました。もう少し時間があったら自分の言葉に直して練習してから司会が出来たのにと思いますが、いつも人前ではあがってしまう私には考える時間や心臓がどきどきする暇が無かった方が良かったのかもしれません。この披露宴は開会の言葉から始まって、詩吟やクラッシクの生演奏もありとてもユニークなものでした。私の下手な司会意外は、この披露宴は大成功だったと思います。高橋夫人になった妹の幸せを祈ります。

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