2008年4月22日火曜日

宮城道雄の弟子の日本琴の先生


先日、宮城道雄の教え子だったという85歳になる日本琴の先生の家を訪ねる機会がありました。
高村国子先生に最初に会ったのは、日本語学校でひな祭りの行事で、先生が桜や春の海を演奏された時です。(
写真参照。)琴の生演奏を聞いたのはこの時が初めてでした。近所の日本人のシアトルに50年くらい居住されている友人の川原さんが、その先生の運転手でまた日本琴の生徒でもあると聞いていたのですが、Kent市に住んでいる友人が昔日本琴を習ったことがあるというのを聞いて、私が仲介役になって川原さんに頼んでその友人と共に先生の家に訪ねて行くことになりました。私は興味津々でついていきました。その先生の家は私の家からたった5分くらいのところにありました。ドアをノックすると、小柄なとても85歳には見えない先生が出で来られて、地下の琴を教えるところへ案内されました。ガレージドアをあけて入って行くと大きい部屋に日本琴がたくさんおいてありました。そこでいすに座って、お話を聞きました。私の友人はあの有名な宮城道雄は昔に亡くなられて直弟子も少ないと聞いていたので、最初は信じていませんでした。高村先生は60年前に芸大で音楽の勉強をされたそうで、その時の先生が宮城道雄だったそうです。8期生で、その頃は生徒は少なかく彼女のクラスは4人くらいだったそうです。友人がなぜ芸大に行って宮城道雄に習うことになのか先生に尋ねたところ、彼女が行っていた私立の女子高の先輩が芸大に行っているのを聞いて、それで芸大に行くことにしたそうです。彼女の母親は三味線は娘が習うものではないと言って習わせなかったそうですが、親に言わずに宮城道雄先生から三味線も教えていただいたと言われました。
この高村先生は50年間シアトルで日本琴を教えたということで、シアトルの日本領事館で表彰されました。85歳の今も生徒に教えているとのことです。彼女の教室になっている部屋には日本琴はたくさん(8琴くらい)ありましたが、三味線は一つだけありました。何人の生徒を教えておられるのか訪ねなかったのですが、遠くから、フェリーに乗って、長年習いに来るアメリカ人の生徒さんもおられるとのことでした。
友人は子供のとき、結構高いレベルになるまで、習ったけれど、以来何年も琴を習っていないので、また練習したいけれど、肩を痛めたので習うのを戸惑っていましたが、高村先生と話した後、日本琴もたった一月10ドルで貸し出してくれて、レッスンも都合に合わせてしてくださって、手ごろな値段でとのことで、とりあえず少しウォームアップのために琴を借りて練習してから習うことに決めたようです。
私が付き合っていた友人や知人で習った人がいたかもしれませんが、日本琴を習ったと言う人の話は今まで聞いたこと無かったと気づきました。友人と話して、彼女のお母さんが琴を嫁入り道具で持ってきたという事でしたが、彼女のお母さんの父親は政治家で、河原さんのお父さんは町の町長だったということから、日本琴は金持ちか、政治家や良い家系の人たちが娘に習わせたのではないかとその友人と話しました。今はたぶん誰でも興味があれば習えるかもしれませんけれど。
私はまったく日本琴のことなど知らず、近くで見たのは初めてでした。琴片方の端にはカバーが掛けてあって、発表会の時にはそのカバーをとるそうですが、木彫りのとても美しいものだそうです。私がもし日本にいたらの日本琴など聞くこともないかもしれないし、有名な人に琴を習った人になど会う機会は無かったことでしょう。シアトルに来て、日本に関係のあることなら何でも良く知っておられて、顔の広い川原さんに会ったおかげで貴重な経験が出来ました

参照

(1)宮城道雄の公式ホームページ http://www.miyagikai.gr.jp/index.html

(2)在シアトル日本国総領事館 イベント情報 http://www.seattle.us.emb-japan.go.jp/japanese/culture/020207_j.htm

2008年4月10日木曜日

鍵を必ず掛けて寝ましょう








先日うちに泥棒が入りました。その夜、私は疲れて、ドアの鍵をかけずに寝てしまったのです。それに加えて、夫がいつもつけたままにしておく電気も消してしまって真っ暗でした。明け方2時頃、夫が急に誰だ、何をしている。うちから出て行け。(もちろん英語:Who are you? What are you doing? Get out of my house.)と大声で叫ぶ声で起こされました。彼はたまに大声で寝言を言うのでそれかと思いましたが、私はそのとき深くは眠っていなかったのですぐ飛び起きて居間に行くと、ラップトップが2つともなくなっていました。本当に泥棒が入っていたのです。夫によると、猫が急にベッドから飛び降りたので目が覚めて、廊下を見ると人影があったので大声を出したが、夢か本当かわからなかったとのことでした。夫はまだ寝ぼけていたので、残念ながら泥棒をおいかけることができませんでした。私が、外に行こうとしたら、夫から外に出ずにじっとして言われて、眼鏡かコンタクトがないとまったく何も見えないし、仕方なく警察に通報することにしました。警察に泥棒に入られたと電話してからたった10分くらいでパトロールカーが到着しました。私は外に出てみると、普段あけていない塀の戸が開いていたのに気づきました。その後、警察犬も来て、警察官の一人が泥棒が盗んだカメラを家の前に落として言ったと知らせてくれました。そのカメラを犬に嗅がせて、追跡したところ、2ブロックで臭いが消えてしまったとのことでした。
幸運にも盗まれたのはラップトップと息子のカメラ(夫のカメラが見つかったもの)だけでした。テーブルの上にあった財布やクレジットカードや携帯電話等も盗まれませんでした。泥棒にとっては不運なことに、盗まれたラップトップの2とも完璧なものでは無く、売ることはできないと思います。一つには問題があってスピードが落ちていて、全部文書や写真は他のハードドライブに移して保管していました。このラップトップはフォーマットしてオペレーティングシステムをインストールする予定でした。息子たちのもう一つのラップトップを私が使っていたのですが、それも一度壊れて修理に出して、マザーボードを入れかえた際、スイッチの場所が変わって、電源のしるしのあるところを押しても、電源はつかないのです。泥棒はお金になるいいコンピュータを盗まなかったので、がっかりしたことでしょう。盗まれて一番悔やまれるのは、息子のラップトップにアップロードしてあった新しい写真です。
次の日、泥棒の逃げた形跡をたどってみると、隣から塀のドアを開けて裏庭から入ってきて、うらのドアから入り込んできたようです。盗まれたラップトップのあるところに見慣れない侵入者を見て、普段そこに座っているおとなしい猫が声を出したので、私たちのベッドで寝ていた母猫が警戒して飛び降りたのではないかとうちの夫と推測しています。この猫おかげで、泥棒は他のものは何も盗らず、あわてて逃げ出し、カメラを落としたようです。また裏庭から飛び降りて転んだような形跡もありました。泥棒は、凶器を持って襲い掛かってこなくて良かったです。
家に訪ねてきたセールスにドアを開けて、縛り付けられて殴りつけられてから物を盗まれた人がいるという話を聞いて、私たちは幸運だったと思いました。セールスといえば、泥棒の入る数日前に誰かドアをノックしましたが息子にドアを開けないよう言ったのを覚えています。近所の人はこのセールスが家の中に何があるか下見してから泥棒に入ったのではないかと憶測していました
近所の人に同じ事が無い様、両隣と向かいの近所の人に夜は鍵を絶対かけて寝るよう私は恥ずかしながら泥棒のことを話しました。隣の奥さんはたまに裏のドアの鍵をかけ忘れて寝るといっていましたが、今度から必ずかけるといっていました。
うちの家は危ない地域にあると思われるかもしれませんが、実はこのあたりは、治安はけっこういいところで、夜でも散歩をしても大丈夫です。うちの家は小さく古くて質素ですが、近所の家は新しくて大きい物が多く、湖の景色がいいので結構高い値段で売れています。高級な家が多いので、このあたりの家にはいいものがあると思って泥棒が入るのでしょうか。最近、この近所で結構、盗難事件が起こっています。
この事件で学んだ何ことは犯罪は暗いところで起こる、田舎ではドアに鍵を掛けなくでも安全かもしれないけれど、都会では必ず鍵を掛けないといけない、シアトルは安全だとはいうけれども、日本とはちがいアメリカなので、麻薬密売人などもその辺にいるかも知れないので、もっと気をつけなければならない、ということです。

うちの家族はこの後、いつもドアに鍵を掛けて、また、ラップトップは窓から見えない場所に寝る前において、明かりを一つはつけて寝るようになりました。