2008年6月25日水曜日

Marieのお葬式



先日、夫の親友のお母さんのお葬式に家族で出席しました。
私が彼女に初めて会ったのは結婚してから何年かたったころで、15年くらい前です。彼女はもう60歳過ぎでしたが、品のいい女性で微笑を絶やさない人でした。Marie は長年の喫煙がたたって、肺の機能が落ちて呼吸困難になってから、肺がんがあっという間に進行して病院に入院して1週間、孫を含んだ家族一同に囲まれて79歳の一生を終えました。
カトリックの教会で、彼女の棺が彼女の息子たちによって運ばれて来てから儀式は行われました。歌と聖書の購読を中心とした葬儀でしたが、彼女の友人や家族だけではなく、私たちのように、息子の友人たちも含めて彼女の一生に触れる機会があったたくさんの人が参列しました。葬儀の後、レセプションがヨットクラブでありました。そこでは出席者が彼女の思い出を語りました。Marieは会った人には誰にでも微笑んで、Please meeting  youと挨拶をしたという話にうなずきました。刺青を腕にした若者に手を貸されて、彼女は、お礼をいってからWho made you such a good boy? と尋ねると、その若者は彼女に心を開いて身の上話をしたということも聞きました。そのレセプションでは彼女の子供時代から始まって若いころ、晩年の写真が、たくさん展示されていました。彼女はとても美人で、帽子のモデルの仕事をしたこともあるそうです。そのときの写真を掲載させてもらいました。レセプションの写真と友人の話からMarieは多くの人たちに送られて幸せな79歳の生涯を送ったであろうことがわかりました。
日本では年取った人が亡くなった際は、最近の写真のみを仏前に喪服で飾るようですが、こちらでは死亡記事の写真なども、若いころの写真が多く掲載されています。一番生き生きとしていたころの写真の方が年取ってしわが増えたり病気で衰えてからのものよりもいいでしょう。私が死んだら、若くて生き生きしていた時の写真を飾ってほしいと思いました。

6 件のコメント:

maggie さんのコメント...

Marieさん とても美しいすてきな女性だったのですね
人は誰でもいつかは亡くなるのだから 葬儀の時の遺影を本人が自分で用意したり 近しい人に伝えておくのもいいですよね
日本でも通夜や葬儀の場で故人との思い出を語りあいますが レセプションのようにその場に集った人達が故人の生前の人となりや思い出をともに分かちあえるような時間はあまりないような気がしますね。

fkurose さんのコメント...

日本ではお通夜というのがありますが、そのときは故人の話はしないのでしょうか。大人になってお通夜に一度も行ったことがないのでわかりません。

maggie さんのコメント...

あくまで私の経験上ですが・・・
次々に弔問に来られる方たちへの対応と葬儀の準備などに故人の家族は追われます。
知人や近所の人のお通夜ではお悔やみの言葉を故人の家族とかわすだけであまり長居はしません。
故人の家族と親しい場合や友人と同席した場合は故人の最近の様子や思い出を語りあったりしますが、故人の職場の友人同士、学生時代の友人同士という感じで自然と輪ができ共通の思い出話を語り合うという感じです。
故人がどのような人生を歩んできたかということが葬儀の喪主の挨拶の中で語られることはあります。

fkurose さんのコメント...

Marieの家族と親戚一同のみのお通夜のようなものを1週間してから、友人や知人を招いて葬儀が行われました。1週間後には家族は悲しみから立ち直って、marieの人生を祝う(celebration of life)という葬式とレセプションを計画したようです。こちらでは、葬儀屋が死んだ人の化粧をしたりきれいにしてから葬式をします。亡くなった日から何週間か経って葬式をする場合もしばしばあります。

maggie さんのコメント...

これもあくまで私の経験上ですが・・・
家族が亡くなった当日 家には通夜と葬儀の日程を問い合わせる電話がひっきりなしにかかってきました。
慌ただしくすべてが終わって家族だけになった時には気力体力すべてを使い果たしてました。
fkuroseさんの話を聞いて いろいろ考えさせられました。
葬儀屋さんはお風呂(?)に入れて全身を清めた後 きれいにお化粧してくれました。

匿名 さんのコメント...

この記事は、何度も読ませてもらいました。
いろいろな思いがあふれでてきて、今もうまくまとまりません。
それは、この秋には三年になりますが、私の父の死が、ずっと心にあるからだと思います。
日本では、地域によって考え方がずいぶん違うと思います。